母性愛&父性愛
母性の原理は「包含する」機能によって示される。 それはすべてのものを良きにつけ悪きにつけ包み込んでしまい、そこではすべてのものが絶対的な平等性をもつ。 「我が子であるがぎり」すべて平等に可愛いのであり、それは子供の個性や能力とは関係ないことである。 しかし、母親は子供が勝手に母の膝元を離れることを許さない。 それは子供の危険を守るためでもあるし、母子一体という根本原理の破壊を許さぬためといってもよい。 このようなとき、時に動物の母親が実際することがあるが、母は子供を飲みこんでしまうのである。 そういうわけで、母親原理はその肯定的な面においては、生み育てるものであり、否定的には、呑み込み、しがみつきして、死に至らしめる面をもっている。
これに対して、父性原理は「切断する」機能にその特性をしめす。 それはすべてのものを切断し分割する。 主体と客体、善と悪、上と下などに分類し、母性がすべての子供を平等に扱うのに対して、子供をその能力や個性に応じて類別する。 極端な表現をすれば、母性が 「わが子はすべて良い子」 という標語によって、すべての子を育てようとするのに対して、父性は 「良い子だけがわが子」 という規範によって、子供を鍛えようとするのである。 父性原理は、このようにして強いものをつくりあげてゆく建設的な面と、また逆に切断の力が強すぎて破壊に至る面と、両面を備えている。
レイは初めのころは父性的であったが、ご存知のとおり結局最後は典型的な母性のかたまりであるグレートマザー (アニマ)に変貌した。 カヲルも、シンジと出会ったばかりの頃は母性に満ちあふれた少年だったのが、ラストでは見事に父性をかたちどった人間性を示した。 君は死すべき存在じゃない。僕を消してくれ。
リリスと分かるまでは人類を絶対的に拒絶してたにも関わらず、善と悪、存在していいものといけないものとの区別をはっきりと示し全てを救うことなく自殺した。
このようないわば相対するふたつの原理は、ヒトの心の中にそれぞれ違った割合で含まれているのである。
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