理性と本能。
通常は両者ともかなり姿が違う。
が、「馮 喬一」という人間はほぼ一緒だった。
つまり・・・
ジキル博士とハイド氏があまり変わりない。ということだ。
だからたまに「汪 来儀」が出たとしてもほとんど変わりは無かった。
汪 来儀とは、ナイトライド氏の『ハゲ薬』(じゃない)で具現化してしまった、
「馮 喬一」の本能の姿、であった。
もちろん、理性の塊である馮 喬一の方が『優』で、本能の方の汪 来儀は『劣』だった。
ただ、メイチーを看病している時に森の中で偶然キシュリンの花の毒に侵された時、、
一時的に肉体に「眠る」状態となった。
元々理性とほぼ差のない本能・・・汪 来儀が「喬一」を引き受け、
何事もなく時間は過ぎ去ったのだが、
本能である「来儀」が『優』になってしまった。
多重人格には「序列」がある。
喬一はふたりのみだが。
そのため、『優』と『劣』という立場が存在する。
理性とほぼ差がないとは言え、本能がずっと理性に抑えられずに「ひとつ」で動いていれば(あえて個体表示)
本能は育ってしまう。
・・・
喬一、、
来儀は思う。
眠っているはず。
なのに感じる。
「(喬一)」
・・・
彼と語れるだろうか。
・・・
喬一。
ひとつだけ分からない。
シャオイーは何故。
暖かい浜辺。
ライイー、一番のお気に入りの地域「アユタヤ」。
アユタヤ=自然と共に生き、その地特有の信仰を持った民族が集まっている開放的な村。
にぃちゃんどう?ガイヤーン。うちのかーちゃんがいっぱい作りすぎてよ。
いっこどうだい?
日焼けした、人の良さそうな村人がグリルチキン・・・この村の名物料理「ガイヤーン」を手にニコニコして差し出してきた。
こういうところも気に入っていた。
ここは魂が浄化されている人間が多い。
「(本能、という名に縛られている「良」側ではない人間にとっては洗われている感がする)」
普通は、「悪」側(本能を悪と無理矢理例えた場合だ)は魂の汚れているところに行きたがる。
本能の精神が「浄化」を求めるのは・・・それだけ「馮 喬一」の精神の高さを示している、ということだ。
海猫の夫婦が仲良く浜辺でくっつきあっている。
ひとつだけ分からない。
分からない。
どうして、理性で子供が作れるんだ
何故、、、
「私」という人格は表に出ていなかった。
「(おかしい・・・)」
分からない・・・
「ハイ、お兄さん♪」
「こんにちは~♪」
色黒のセクシーな女の子(と女の人の中間)たちがライイーに声を掛ける。
「えっとぉ」
「アンケートなんですが。
あ、今時間大丈夫です?」
ライイー「大丈夫」
女の子A「えっとあのですね、今アンケートやってるんですよ。
えっとこれ。
こっちの『ブルーハワイかき氷』と『レッド・ホット・チリ・ペッパー・ライス』
要はぁ、『青』か『赤』か、っていう話なんです。
今度お祭りがあるんですが。
あ、来て下さいね」
女の子B「そう、それで
どっちかを。えっと無料で配るんですよ」
そのアンケートらしい。
ライイー「青で・・・」
涼しげに言うライイー。
「ハイッ、青ですね」
「有難う御座いました~♪」
「お手数掛けました~♪」
女の子たちは去って行った。
『青で・・・』
『青で・・・』
私は赤・・・
『青で・・・』
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