子である応神天皇は穏やかで優しい天皇でした。
少し前に三韓征伐が行われましたが、
それ以後に渡来人が日本に多く訪れ、日本に多くの文化や技術をもたらしました。
応神天皇にはたくさん子供がいましたが、
各地の豪族との繋がりのために差し出された妻たちとは違い、
唯一自分の方から一目惚れして好きになった妻との間に生まれた、
宇遅能和紀郎子(ウジノワキ) という皇子を跡継ぎにしたいと考えていました。
多くの子供たちの中で、
そのウジノワキを含めた、跡継ぎ有力候補3人がいました。
年長順に
・大山守命(オオヤマモリ)
・
大雀命(オオサザキ)
・ウジノワキ
といます。
先程のウジノワキは一番年少です。
ある時、応神天皇は↑上の年長者2人を呼びつけ、
たくさん子供がいる場合、年長年少どの子を可愛がるべきだろうかと問いました。
一番年長のオオヤマモリは
「年長の子が一番可愛いと思います」と答えました。
オオサザキは
「(嗚呼、父上はウジノワキに後を継がせたいから、
自分たちに『おまえたちもそう思うだろ?』と言いたいのだろう)」と見抜き、
「上の子はもう大人なので、心配はないですが、
下の子は頼りなくて面倒を看ないといけません。
下の子を可愛がるのが良いと思います」と言いました。
応神天皇は深くうなずき、ウジノワキを跡継ぎにするように宣言しました。
オオヤマモリは納得出来ない思いでいっぱいでした。
オオサザキは「父上がそう決めたのだから、いいではないですか」と兄をなだめましたが、
兄は何か言いたげのようでした。
その後、応神天皇は評判の美女である
髪長比売(カミナガヒメ)を妻として迎えることになりました。
しかしこの女性にオオサザキが一目惚れしてしまい、
例の高齢の大臣である建内宿禰に
「父上の妻になる人だけれど、どうしても娶りたい。
どうにかしてくれ」と
頼みました。
建内宿禰は、少し前に出て来た大変優秀な大臣で、
この頃は恐らく200歳を超えていましたが、
引き続き天皇に仕えていました。
オオサザキに頼まれた建内宿禰は
「分かりました。何とか致しましょう」と了承しました。
建内宿禰に話を聞かされた応神天皇は、
あっさり息子にカミナガヒメを譲ることにしました。
美女を譲られたオオサザキは
「妻として娶るはずだった女性を譲ってもらえたのだから、
父上の役に立とう。
ウジノワキを跡継ぎにしていたけど、
そのウジノワキをしっかりと守っていこう」と
心に決めたでした。
…
だいぶ前に、
美女をめぐって父と息子がぎくしゃくするくだりがありました。
景行天皇とオオウスのお話です。
そこでは、
景行天皇の妻になるはずだった美女姉妹をちゃっかり自分の妻たちにしてしまい、
偽物を天皇に送ってしまっていざこざがありましたが、
こちらではそれが回避されています。
これは、
「確かに跡継ぎは他の人間にはしたけれど、
賛同してくれたし、お礼にご褒美をあげよう」という
応神天皇のギブ&テイクを表しているものだと思われます。
…古来、父と息子間で
美女にまつわるこういうトラブルが多少あったのかもしれません。
応神天皇は、秦や漢、新羅、百済からくる文化人たちを丁寧に受け入れ、
文化や学問、技術をどんどん取り入れて行きました。
三国志、で有名な「呉」という国がありますが、
「呉」からは高度な織物の技術が渡って来ました。
「呉服」という言葉からその名残を感じることが出来ます。
応神天皇が崩御した後、
ウジノワキが跡継ぎと決まった時に「納得いかない」という態度をしていたオオヤマモリが
早速ウジノワキを秘密裏に攻める準備をしました。
そのことを察知したオオサザキがこっそりとウジノワキにそのことを報せます。
そして、ウジノワキが宇治川付近の宇治の山に出掛ける、という情報を流し、
宇治の山に陣営を敷き、景色見物をしているように見せ掛けました。
その陣営には偽物のウジノワキを座らせます。
本物のウジノワキは、
宇治川の橋渡しのみすぼらしい船頭の格好をして川の対岸に控えました。
何も知らないオオヤマモリは服の下に鎧を着て、宇治川にやってきます。
船頭に扮したウジノワキに声を掛け、
船を出すように言いました。
元々、船に足を滑らせる罠を仕掛けておいたのですが、
オオヤマモリの、服の下に着ている鎧や、
こっそり控えている多数の兵士たちを確認したウジノワキは、
苦渋の決断ながらもオオヤマモリを川の中に放り投げます。
オオヤマモリは溺れて命を失うのですが、
そのことにウジノワキは深く心を痛めます。
その後、ウジノワキは皇位を受け継がず、オオサザキに皇位継承を願い出ます。
年少者の自分が皇位を受け継ぐということで実の兄が反乱を起こしたという出来事を思い、
年長者が後を継ぐ方が混乱が起こらないのだと判断してのことだと思われます。
しかしオオサザキは父(応神天皇)からウジノワキのことを頼まれていたので
それを断ります。
海人達が、立派な海産物をウジノワキに献上すると、
「兄上にこそ献上して欲しい」と突っぱね、
オオサザキは
「皇太子であるウジノワキに贈るように」と突っぱね、
両方を行き来しているうちに海産物が腐ってしまう...ということも起こってしまう事態にさえなってしまいました。
皇位継承について、ウジノワキが、いや兄であるオオサザキが、と
ふたりが話し合っているうちに、ウジノワキは薨去してしまいます。
これは、心労のあまりウジノワキが亡くなってしまったのか、
或いは自死したのか、ハッキリとは書かれていません。
これは、
弟が皇位継承を指名されても、
立場をわきまえていて「兄が後を継ぐべき」と謙虚に願い出ている、という印象付けの可能性もあるかもしれません。
繰り返しになりますが、
『古事記』の製作時期は、『天武天皇』が治めていた時代でした。
天武天皇は、天智天皇の弟で、
天智天皇側と戦い、勝利して皇位に就いた天皇です。
立場的に、『弟』という部分を正当化したり強調したりする必要があり、このような表現が多く出て来るのかもしれません。
こうして、オオサザキが天皇として即位しました。
16代天皇、
仁徳天皇(にんとくてんのう)です。
ここまでの系図の説明
中巻、完