垂仁天皇は多くの妃がいましたが、
その中でも、最初にもらった
沙本毘売(サホビメ)を深く寵愛していました。
しかしあまりの重い愛情に窮屈さを感じていたサホビメは、よく実家に帰って気晴らしをしていました。
サホビメは兄の
沙本毘古(サホビコ)と仲が良かったのですが、
ある時兄に、
「俺と旦那と、どっちの方が好き?」と
どうしようもないことを聞かれます。
種類が違うし、比べようがないのですが、
「どっちも同じだけ好き」などと言えばいいのですが、
兄が大好きなサホビメは「兄上です」と答えてしまいます。
サホビメが流されやすい女性なのか、
或いは本当に兄が大好きなのかは不明ですが、
恐らく、当時の天皇は、皇后を大切にしていて、
実の血の繋がった兄とはいえ、もしかしたら奪われるのかも?と思っているような気持ちがあり、
このような話が出来たのかも、しれません。
サホビコは天皇とは従兄弟の関係で、
天皇の地位の狙っているようでした。
天皇の妃である妹に、
「俺の方が大切なら天皇を弑してくれ。
それで一緒に日本を治めよう」と
提案します。
サホビメは小刀を受け取り、
流されるままに、
ある夜に垂仁天皇を弑そうとします。
が、どうしても出来ず、天皇に気付かれてしまいます。
そして泣きながら全部を打ち明けてしまうのでした。
天皇はサホビメが大好きだったので、
許してしまいます。
しかしサホビコの企みは見捨てて置けず、
サホビコの館に攻め入ることになります。
サホビメはこんな時でも兄が大切なのでしょうか。
兄の立て籠もる館に逃げ込みます。
そして兄に
「天皇に許しを請うて下さい。私も頼みますから」と
必死に懇願するのですが、
サホビコは今更引っ込みが付かない、と拒否します。
実はこの時サホビメは垂仁天皇の子を妊娠しており、
身重な体でした。
サホビコの館に攻め入ろうにも、
館内には愛しい妃と、お腹の子供がいる...
垂仁天皇は手が出せず、持久戦に持ち越されました。
そうしている間にサホビメは男の子を産みます。
サホビメは産まれた我が子を抱き、ある一計を企てます。
髪を切り、その髪をかつらにして被り、
衣服を酒に漬け、あらかじめ腐らせました。
…
そして、我が子を抱き
館の前に出て、
「どうかこの子だけは、無事に育てて下さい」と
館から出て、子供を垂仁天皇軍に渡そうとしました。
垂仁天皇は
「いや、貴女は悪くない!戻っておいで!」と言います。
そして兵士たちに、
「腕づくでも、絶対にサホビメを掴んで何が何でもこっちに連れて来るのだ」と
ヒソヒソと命令します。
子供を渡そうとするその瞬間、
兵士たちがサホビメをがっちり掴み、連れて行こうとするのですが、
サホヒメはこうなることが分かっていたのです。
掴んだ髪の毛はかつらで、
衣服も腐らせてあるので、
兵士たちががっちり掴んだ瞬間、それらはズルルッと落ちました。
その隙にサホビメは逃げてしまいます。
垂仁天皇は激しく慟哭し、戻ってくれと叫びます。
しかしサホビメは兄と運命を共にすることを選んだのでした―...
何を言っても何をやっても、ちっともサホビメは応じず、
とうとう、垂仁天皇は攻め込む命令を出します。
そしてサホビコは討ち死にし、サホビメも亡くなりました。
亡くなる前、サホビメは遺言を遺しました。
・子供は「火の中で生まれた子、
本牟智和気(ホムチワケ)」と名付けて下さい
・2人のお勧めしたい姫がいるのですが、その2人を妃として下さい
......と。
…
垂仁天皇はとても悲しみました。
そしてしらばく経ち、
垂仁天皇は「この2人を代わりの妃として下さい」とサホビメに指名された2人の姫を娶りました。
2人の姫の父親は、2人の他に、
更に2人の姫を垂仁天皇に差し出しました。
しかし垂仁天皇は、
後から差し出された2人の娘は容姿が悪いからと、
返してしまいました。
この、
・容姿が悪い方の娘を実家に帰す
・子供の名前は火にまつわるもの
という共通点から、
ニニギを彷彿とさせます。
これは読者に対し、
「間違いなく、天皇は天孫(ニニギ)の血を引いているのです」という
印象付けをしている可能性があります。
残された、垂仁天皇とサホビメの息子、ホムチワケは
生まれつき口が利けない子でした。
しかしある時、鳥を見て「あー・・・」と声を出しました。
あの鳥さえ捕まえれば口が利けるようになるかも?と
思った垂仁天皇は急いで鳥を捕まえるように命令しました。
命令を受けた家来は頑張って長い長い距離を掛けて鳥をついに捕まえます。
その鳥をホムチワケに連れてくるのですが、ホムチワケは口が利けないままでした。
悲しんだ垂仁天皇は
「このまま大切な我が子を残して先に死ねない...
永遠の命が欲しい」と
思い詰めます。
どれだけ息子大好きなのでしょう。
垂仁天皇=妻大好き、息子大好き、と
覚えて置くと分かりやすいと思います。
永遠の命を願う垂仁天皇。
ある言い伝えでは、
常世国(外国)に、
非時香木実という果実を食べると、
永遠の命が得られる、という情報が有りました。
外国、ということで、
新羅出身の
多遅摩毛理(タヂマモリ)にこの実を探すように無茶振りをします。
タヂマモリは張り切って絶対に探して見せます、と出発しました。
ある夜 垂仁天皇が寝ていると、夢枕に
大国主(オオクニヌシ)が立ちました。
「貴方の息子が口が利けないのは私の抗議の証である。
何故私の宮をきちんと祀らないのか」
目が覚めた垂仁天皇は思い出しました。
遠い昔、国譲りをするにあたり、
アマテラスが地上の所有権をオオクニヌシに迫り、
オオクニヌシが国を譲ったことを。
国を譲る代わりに、大きな宮殿を建てるように頼んだ、という経緯を。
しかしそれは何百年も昔の話で、
何も整備していないので、荒れ放題なのが予想されます。
それらを意図を感じ、
急いで出雲 ― オオクニヌシが祀ってある土地にホムチワケを派遣させます。
今の天皇という、アマテラスの子孫がいるのは、
国譲りをしたオオクニヌシがあってのものです。
出雲の神に敬意を払うのを忘れていた、と気付き、
ホムチワケをお参りさせ、
老朽化した宮を建て直す約束をさせました。
そのお参りをしてからすぐに、ホムチワケが口を利けるようになりました。
ホムチワケは喜び、
帰ったらどれだけ父が喜ぶだろうとワクワクして床に就きました。
すると何故か寝室に美しい女性が現れました。
肥長比売(ヒナガヒメ)という名だと言うその女性の誘惑に負け、
関係を持つのですが、
朝起きてその女性がヘビだということに気付きます。
ヘビを恐れたホムチワケは家臣たちと共に全力で逃げます。
ヒナガヒメは「愛してくれたくせに!」と追い掛けます。
しかし何とか逃げることに成功しました。
突然のこの意味不明な描写は、
「障碍を持っていたけど、治りましたし、
普通の一人前の男性なのですよ」という
ホムチワケの名誉を守るというニュアンスを含んでいるのかもしれません。
戻って来たホムチワケを垂仁天皇は大喜びで出迎え、
出雲の宮を豪華に建て替えさせます。
その後、更に垂仁天皇は悩みます。
ホムチワケは無事口が利けるようになったけれど、
謀反人を母に持っている時点で、跡継ぎには出来ない。
私が不老不死だったら、跡継ぎなんて気にしなくていいのに。
非時香木実を取りに行ったタヂマモリはいつまで経っても帰ってこない ― と。
本当に息子を想っていることが分かります。
しかしとうとうタヂマモリが非時香木実を取って来て、帰還しました。
喜んで献上しようとしたタヂマモリでしたが、
その時にはすでに垂仁天皇は崩御していました。
タヂマモリは衝撃で泣き死にしてしまいました。
これもまた、
「現人神である天皇が不老不死ではないのはこういう事情があって...」との
説明付けなのかもしれません。
垂仁天皇は優しい天皇で、
皇族が亡くなると、奴隷たちが一緒に生き埋めにされること厭い、
「人間の代わりに埴輪(はにわ)を埋めたらいいのではないか」と提案しました。
垂仁天皇の時代から、皇族が亡くなる時は人間ではなく埴輪が埋められるようになったようです。
他、垂仁天皇は11代天皇ですが、先代の10代天皇の崇神天皇の御代に、
アマテラスの御神体の八咫鏡を納める神社を建てる場所を何処にしよう?という
事柄がありましたが、
色々と検討した挙句に、
垂仁天皇の御代に、奉納する場所が決まりました。
今の伊勢の地で、
アマテラスのために建てた神宮が、今の伊勢神宮です。
アマテラスが
「オオモノヌシを祀ったのであるから、
均衡を取るために私も祀るように」と
崇神天皇に神託してから、実に90年の月日が経っていました。
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『古事記』には記載されていないのですが、
『日本書紀』に記載されている垂仁天皇の御代についての記述で、
角力(相撲)についての話があります。
大和国の
当麻という場所に住んでいた
当麻蹴速という力自慢がおり、
自分より強い奴と戦いたい、と豪語していました。
垂仁天皇は、
蹴速と同じようなことを言っている、
出雲国の
野見宿禰と力比べをさせました。
当時の相撲はダイナミックで、押し合いではなく、蹴りなども含めるものだったようです。
勝負は、
野見宿禰が勝ちました。
これが最初の天覧相撲と言われています。
今でも、
大相撲本場所では、本場所が始まる前の儀式として、
土俵の中心に神様への捧げ物を奉納することが行われていますが、
この、
野見宿禰も、奉納する神様の1柱になっています。
この土俵の中心に様々なものを奉納して、神様に祈る際、
祈られる神様は3柱いて、
・
タヂカラオ
(天の岩戸の場面の際に、岩戸を引いて、
アマテラスを引っ張り出した神様)
・
ミカヅチ
(国譲りの際に最終兵器として出て来た、
ミナカタと力比べをした神様)
・
野見宿禰
(ミカヅチとミナカタは神々の相撲だが、
野見宿禰は人間同士の相撲の始祖的存在)
となっています。
垂仁天皇の行った事柄は以下の通りです。
◆妻、息子想い
◆強制的な殉死の禁止(人民想い)
◆出雲大社の修復
◆伊勢神宮の創建
ホムチワケは矢張り母親の事があるからなのか、跡継ぎにはならず
代わりに別の皇子が跡を継ぎました。
次は12代天皇、景行天皇(けいこうてんのう)です。