「い、いや、何突然」
そういう夫を無視して、話をうながす妻。
(時間を端折る)
「・・・まぁ。不思議な話」
「今、何て言ってた?」
頭を抱える夫。
「あ、ええと。あなたが別の時代の人間でしたとか。
稗田阿礼さんに秘密をお話したとか」
話してはすぐに記憶が消え、話を聞いた妻から、
自分が何を話したか聞き返す・・・謎のやり取りが繰り返された。
妻は、少しでもお疲れなのでは的なことを言ったら夫が
怒るとか傷付くとかそういうのを理解しているので、野暮なことは
一切聞かなかった。
「あのう・・・」
妻は遠慮がちに言った。
もうお記憶が消えていらっしゃるかもしれないですけど、
「何故かあの時記憶が消せた。君の記憶は君だけのもの」
とあなたが私に言った、と伺いました。
↑このことも恐らく・・・お忘れになっていらっしゃいますよね?
宣長・・・この妻の夫である。
宣長は面倒臭くなった。
過労とか勉強のしすぎで頭がおかしくなったのかな、と思ったが、
変なプライドが働き、
「嗚呼、もちろん覚えてるよ」と格好付けた。
稗田阿礼はしっかり安萬侶の話を聞き、胸に刻み、
そして意識的に記憶を消した。
普通は気合いで記憶を消すなど、出来る訳がないのだが、
何故か消せた。
この記憶は覚えてはいけない、彼の聖域に触れてはいけない。
強く思ったのだ。
そして何故か、亡くなる間際にそのことを話した安萬侶も、
何とか聞かなかったことにしたり、誰にも話さなかったりして、
秘密を保持してくれるだろうというような顔をしていた。
全てのものは相対的である。
なのに、何故時間だけが絶対的だと言えるのだろう。
時間以外が相対的であることがすなわち、
時間「も」相対的にある証拠ではないだろうか。
証明するにも、「絶対的な法則を持つ時間」という概念で証明しなければいけない限りは
時間の相対性は証明出来ない。
しかしある人物は
未来に生まれ、過去に生まれ変わったのだ。
これを、ちゃんと残したいとか
掴みたいとか
どうして自分は上り続けているのかとか
何を記し、人に知らせたかったのか?
安萬侶の記憶は、宣長の記憶なのであった。
融通が利かず、真面目でピシッとしているところも、
そして顔も変わらずに生まれ変わるところや、
例え時間が相対的とは言え、
「古事記が作られた時期に行きたい!」という強い思いで
本当に行ってしまうところといい
頑強な人物である可能性は高いと言える。
歴史はまるで、彗星のようである。
幻にも見えるし、都合の良い美化された想い出かもしれない。
辛い思い出の記憶でもあり・・・
楽しみも、苦しみも何も感じ入ってじっくり味わうには
あまりにも速足で過ぎ去ってしまうもの。
「お疲れ様です」
最後、人に笑顔を向けない安萬侶が、稗田阿礼に手を差し出した。
これもまた、流れ。