新解釈の古事記 新解釈の古事記 新解釈の古事記 新解釈の古事記 新解釈の古事記

第7章:その他

第13節:崇徳天皇

第2話:三貴神・2

新解釈の古事記


後三条天皇の優秀過ぎるというか、敏感過ぎる、準超能力の遺伝子は、
6代下の「安徳天皇」にまで引き継がれた。

例えば、堀河天皇と鳥羽天皇は、特に『絶対音感』の方の部分が引き継がれ
笛の名手と成っている。

(系図)

後三条天皇

白河天皇

堀河天皇

鳥羽天皇

崇徳天皇(兄)
後白河天皇(弟)


安徳天皇(孫)


安徳天皇は、空気から天気から雲から、風から、全ての空気の揺れにより
人々や世の中(というと少々大袈裟であるが)の気持ちや動向が分かった。

ただ 心に触れるだけ、なので
安徳天皇に重圧を掛けるものではないのだが、
小さな体でいつも それ、を受け止めていた。
ほんの微かに顔に掛かる霧雨のように、『世』というものに触れていた。


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さて、
後三条天皇の濃い遺伝子を強く受け継いだのは、

鳥羽天皇の皇子、
崇徳天皇(兄)
後白河天皇(弟)
であった。

均衡の話をしたが、この兄と弟は均衡の存在であった。

崇徳天皇は、この時にすでに無視出来ない程に生じていた、日本の重大な部分に干渉するために
日本という国が自浄作用のようなもので生み出していた、特別な存在であった。

精神:肉体は「8:9」であり、その配分は日本を救うために必然として備わったものだ。
肉体が「9」だからか、輝くばかりに美しい男性であった。

平安時代の人間は、今と美の価値観が異なり、鉤鼻引き目が美形とされているという認識が広まっているが、
絵画の技術が欧州のように文化として発達していなかったため、絵画が未熟であり
(いわゆる、写真のような絵を描くという文化に発展しなかった)
その絵画が「当時こういう顔が本当に存在していた」「もしかしたらこの顔が当時の美形なのでは」という
間違った認識に繋がったと思われる。

実際は美の基準は今も昔と変わらず、
目鼻立ちがくっきりしていて、輪郭が繊細で...等のものが美しいとされる。


崇徳天皇はとても美しい青年であったが、鳥羽天皇(父親)はその美しさがとても妬ましかった。
その妬み、という意味不明な感情も、必然のものとして生じているものであった。


この、精神と肉体の水準の高さゆえに、
後三条天皇の準超能力を受け継ぎながらも、肉体の負担は無かった。


余談だが、崇徳天皇の弟で、後白河天皇の兄である、
君仁(きみひと)親王は、準超能力を強く受け継ぎ過ぎ、肉体がその能力を請け負えずしんどい思いをしたようだ。
生まれ付き体が弱かったのだが、Windowsの最新OSを普通のパソコンに入れ、重すぎて動かない、しょっちゅうフリーズする、
という症状に近いと言えば分かりやすいだろうか ー 体が弱くならざるを得ない状態だった。

男性ながら深窓の令嬢のような極めて愛らしい容姿をしていたが、
華奢で青白く、いるのだかいないのだかの、とても存在感の薄い存在であった。


鳥羽天皇の、この三人の息子は、まるで三貴神を思わせるような兄弟であり、共通点もいくつか有った。

崇徳天皇=アマテラス
(三兄弟の一番上。特別な存在)

君仁親王=ツクヨミ
(真ん中。目立たない)

後白河天皇=スサノオ
(末っ子。知名度が一番有る)



さて。

崇徳天皇が「8:9」である以上、均衡を取る存在は必然と生まれるのだが、
それが弟の「後白河天皇」であった。

後白河天皇もまた、後三条天皇の優秀過ぎる能力を受け継ぎ、
本来ならば視えないであろう、統合失調症の世界を見る人生を送った。


第7章:その他「第13節:崇徳天皇 ー 第2話:三貴神・2」


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