第1節:ナカトミ
第1話:ナカトミ
ミカヅチが葦原中国に降下する前に大泣きしていた、
ミカヅチの家来、
高天原は、名前のついている存在と、存在をあやふやにされている「名前のついていない存在」がいる。
名前がついていない存在は、現代の我々でいうところの、
「人間にとっての服」とか「食器」とかそういうものに該当する、というと分かりやすい。
動いているか動いていないかという違いがあるが、
イメージとしてはそれが近いと言える。
当然、戸籍に該当するものがあれば、そこに記載されないような
そんな存在である。
ナカトミも、そんな存在であった。
神様についている使用人、世話人、家来的存在。
そういう立ち位置にいたが、
彼は前述のいきさつで主人であるミカヅチに「名前」を授けられた。
主人に名前をもらった、という点では、
のちに天智天皇から「藤原」の姓を授けられた中臣鎌足を彷彿とさせる。
ちなみに名前の由来は、
この世界を創造した、つまりこの世で最も尊い神である「天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」、の
『中』という字を取り、
最も素晴らしい「臣下」であるという意味を込めてつけた
「中臣命」ということである。
ごてごてした仰々しい、説明文のような名前より、
言い切ってしまうほど、尊い存在として短い名前にしたのである。
例えば「お金の神」だとすると、
仰々しい名前だと『豊さを提供し肉体及び精神を充実させる物質の尊い神』
などと付けられるところを、
「お金の神」と付けられるみたいなものである。
断定で言い切っているのだ。
ごてごてした名前なんて不要、ということである。
ナカトミは高天原で暮らしている。
ゆえに歳を取らず、今でも生きているということになる。
ナカトミが葦原中国に下るという理由はないし、
彼が下に降り、子孫を残す理由はない。
ゆえに、今日本にいる「藤原(中臣)」はナカトミとは何の関係もない。
縁というものなのだろう。
ミカヅチに名前を授けられて存在を「確定」されたほどの存在:ナカトミと
ミカヅチを祖神として敬う中臣氏―・・・。
縁というものなのだろう。
ちなみに、中臣命は
後の「人間の世」に生まれた、「藤原不比等」に瓜二つになる。
やはりこれも縁なのだろうか。
血縁関係はないはずなのに。
中臣命は高天原で暮らし、
当然ながら藤原不比等は地上で暮らしている。
中臣命は、氏神をミカヅチとして祀っている中臣氏に生まれ変わり
そして国を良くしようとしたのだろうか。
ミカヅチがいる、葦原中国を、何とかするために―
さすがにそれは違うだろうが。
想いの強さというものは、大きな、大きな無限大の可能性を秘めている。
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第1節:完
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