第2節:オサム記
第10話:原初の虹
可愛くてきれいなサラスパティ、一体どんな顔をしていたのだろう
サラスパティは、ブラフマーの妻なので、
原初の神々の中のひと柱、ということになる。
サラスパティの顔を視るのは、同じ神であっても難しいのだと思われる。
もしも視る、ことが出来るとするならば、
理屈だけで言うと同じ階層にいる神...つまり『原初の神』なのだろう。
日本で言えば『造化三神』だろうか。
………
…
オサムは、人間でありながら神である
しかも日本の創造主たるイザナミ(はるさん)の顔を見て
その姿を描くことが出来た。
だが、玉虫姫の顔だけは何度描いても描けず、
最後まで描けなかった...
※ オサム紀(6)
「違うー!
それじゃないんだーっ!」と
キバを生やさんばかりにオサムは言った。
何故、サラスパティが日本に、しかも黄泉の国にいたのか、
それは分からないが、
オサムは最初から描けない存在を一生懸命描こうとしていたのである...
小さな利発そうな可愛い女の子にも見えるし、
さっぱりしたお姉さん風の女性にも見えるし、
優しそうな初老の女性にも、
そして女優のようにも尼僧のようにも娼婦のようにも。。
ハッキリとその姿が視えない。
だが無理だったのだ。
素晴らしい100万色の錦の織物を視ようと死に物狂いになっても、
白と黒しか識別出来ない色覚能力の前には、
無理なものは、無理だった。
神様であろうと諦めるであろう、玉虫姫の顔を顔を描くことを
オサムは諦めなかった。
※ オサム紀(6)
「でも いつか、必ず描きに行くよ」
手塚治虫の描く女性は、とても印象的な美人が多く、
「これは母親がモデルなのか?奥さんか?…モデルでもいるのか」と
話題になったことがあるようである。
※ オサム紀(7)
ぼくさ ずっと 同じこを 描いてたんですよ
誰かわからないけど
うっうっう~っ
近年、世界中で知られている日本の「漫画」という文化は
このような、途方もないエネルギーが源泉となって生み出されている。
神々ですら『描く』ことを諦めるものであろうことを、
人間でありながら『いつか、必ず描きに行くよ』と約束する魂は
人も、そして先史民族である日本神をも超える。
未来永劫、永久に叶わない願いを
それでもそれでも!と描こうとする気持ちは
インドの何と繋がっているのだろうか。
インドの最高神が、四六時中見ていたいと顔を4つに増やした程の美しい顔。
男性の浮気の最大の原因が「見飽きること」だと言われている。
4色型色覚は、主に女性が持っていると言う。
生物学的にも、男性の方が色覚異常が多く、女性の方が色を深く認識出来る。
男性は色をあまり認識出来ない。
だからすぐに見飽きて、浮気に走るという場合もあるのかもしれない。
最高神の「男神」が
ずっと見ていたいと思う美しい女性の顔、
人間どころか神々でさえ、未来永劫、視ることは出来ない。
そんな天上界の美を
ずっと水中を泳ぐかのように追い求めるのだ。
水中に漂うようなサラスパティを。
真っ白い空間の中に、透明な水がぱしゃぁん...とはねる感覚。
何度も何度も。
…
そんな時、不思議な少女が、向こうから泳いでくるような感覚を感じ、
パッと目が覚めた。
流動的で、掴めない包み込まれる水の中。
水色のサラスパティ。
あたしねっ、おじちゃんが描く絵を見てかんどうしたの!
だからっ!わたしのすがたも描いてほしいの
もう、その言葉に取り憑かれてしまった。
何故、目に焼き付いてしまったのか。
恋は上から、自分の顔に落ちて来るものである。
もう、落ちて来てしまったから。
もう、忘れられないから...
第7章:その他「第2節:オサム記 ー 第10話:原初の虹」
第2節:完
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