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ふることふみ

新解釈の古事記 
TOP章ごとの目次第7章:その他第10節:相撲

第10節:相撲

第8話:三つ


雲龍型と不知火型―......作った人物が入れ替わっているような
良く分からない現象は、
二人が一緒に三番目の型を作ったからこそ、
だから入れ替わってしまったということを、遠回しに示唆しているような
「いつか誰か気付いて欲しい」と何らかの力が働いているかのような
そんな現象のように思われる。

そして、
はっきり、「物事を分けるのは二つで充分」というものを
表すことになったのかもしれない。

ちなみに、この幻の型は、無くなっている訳ではない。
ツクヨミのように忘れられている(知られてすらいない)だけと思われる。


タカミムスビを思わせるような、大樹のような神聖があるのかもしれないし
不可侵だということなのかもしれない。


話は「柔」と「剛」に戻る。

柔の方が果たして強いのだろうか?

…違うのだ。

人間という肉体には、
人間という器には、

剛の精神が全部入りきらず、

人間であればこそ、「剛」としての力を発揮出来ない。

人間という肉体では、「剛」のパフォーマンスは披露出来ないのである。

魂が大きく、その大きな魂を納めなければいけない肉体...というのが「人間」と
いう限界のある器しか存在しない場合は、
納められた魂は、
その魂で以って何かを表現する際、
或いは力を出す際に、はがゆい何かを感じるだろう。
肉体に限界がある分、うまく表現出来ないのである。

対し、柔軟性のある魂なら、
肉体がどんな形をしていようと、上手く「中身」「包んでいる入れ物」との組み合いが
取りやすいため、
力を発揮出来ると言える。


剛、の方は「魂」だけならば良いけれど
「魂」「肉体」となった場合、うまくかみ合わないため魂の強さが表に出にくい。


雷電は、「剛」であったが、
出生の秘密により、肉体が人間を超えていたので、剛の力が100%発揮出来たのだと思われる。
それにより、強すぎるからと課せられた四つの禁じ手を守ってしても、勝率96%を超えたのだと考えられる。
(強すぎるので、雷電のみが「これやっちゃ駄目」とやることを禁止されていた4つの禁じ手があった)


特定の人しか分からないのを覚悟で言うと、

剛が「ターミネーター1」のT-800の金属骨格であり、
柔が「ターミネーター2」のT-1000の液体金属......というような感じだと分かりやすい。

T-800とT-1000が同じ条件で戦ったらどちらが勝つだろうか。
という話なのかもしれない。


この、T-800の金属が、
通常の金属ではなく、地球上にはない金属...例えばマントル(地球の中の)の金属だったらどうだろうか?

そのような感じなのかもしれない。


◆剛の力士
建御雷神ミカヅチ
・雷電
・初代若乃花
・千代の富士

◆柔の力士
・谷風
・貴乃花
・白鵬


千代の富士は強い力士だが、
実は70%くらいのパフォーマンスで横綱をやっていた可能性がある。

本当はもっと......


そして、
柔も剛も、双方の力を有していたのが、
「双」葉山なのかも、しれない。


あからさまな剛、という強さでも勢いでもなく、
かといって柔だけとは思えないものがあり、
どっちつかずな、そのせいで立体的な何かが形成されている不思議な感じは、
静謐(せいひつ)なツクヨミが宿っている証明かもしれない。

相撲の神様と言われているのに、
何故か目立たない(千代の富士の方が有名とか)そのせいかもしれないし、

ツクヨミは、好きな人からは凄く好かれる神様のように思われるのだが、
それこそ宗教の教祖のように双葉山が好かれるのは
ツクヨミ的な魅力があるからかもしれない。


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取り組みに勝った時の、三つの方向に切る手刀。
その都度、何かが土俵に落ちるのだ。

不可侵の何かが。


第7章:その他「第10節:相撲 ー 第8話:三つ」

第10節:完

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