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新解釈の古事記 
TOP章ごとの目次第7章:その他第13節:崇徳天皇

第13節:崇徳天皇

第1話:後三条天皇~安徳天皇


準超能力とも言うべき能力がある。
超能力とまではいかないが、特殊能力と言うか。

例えば『絶対音感』。
音を聞いただけで、音階が分かるという能力だが、
能力が高いと#や♭も聞き分けことが出来ると言われている。
しかしまれに、ピアノを習ったこともないのに、
曲を聴いただけで、その曲が弾ける、、というレベルも存在する。

他に『映像記憶』。
カメラのように、「目の前に映るものを記憶し、その記憶を保持することが出来る」、
という能力で、やはり能力の差がある。

視覚という点では、
発達障碍の人が持ちやすい、特定の分野で神がかり的に優れた能力を発揮する、
視覚情報の処理についての能力も存在する。
例えば、いきなり大量の爪楊枝が床に落ちた瞬間、即座に落ちた本数を言い当てることが出来る。

余りに優れた能力ゆえに、簡単に入手することが出来ない能力のため
様々な条件が必要なのだろう。

他、五感が繋がる現象が起こる『共感覚』という能力もある。

通常は、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、という『五感』はそれぞれが独立している。
しかし『共感覚』はその感覚が複数繋がった状態になる。

音を聞いた瞬間に、その音の「色」が視えたり、
或る対象を見た時に、「味」が分かったり。
香りを嗅いだ時に「音」が聴こえたり。

・・・というものだ。

そして、『エンパス』。
これは、第六感の能力の一歩手前の能力と言えるかもしれない。

恐らく「視覚」で見る、相手の微細な震えだとか目つきだとか、
或いは「触覚」で感じる、相手から伝わる、微妙な空気の揺れなどで
相手の「心」が読めてしまうという能力と言える。

よく言われる、「人の痛みが分かる」という直感的なものではなく、
実際に望むと望まざるとに関わらず、勝手に相手の心が読めてしまう。

人の痛みが分かる、という現象は、
自分自身も辛くなるのに対し、

エンパスという能力で勝手に相手の心が入って来ても(読めても)
特に自分の心が痛むことはない。

勝手に「もの」を触れる感覚なので、心は関係ない。


大きく脱線するが、現代の私たちでも、一時的にこの能力を得てしまう機会が存在する。
子を産んだばかりの女性だ。
特に「そう」望んでいる訳でもないのに、不思議と、自然に赤ん坊の気持ちだとか
言いたいことが分かってしまう。
「何を言っているのだろう」と戸惑う父親の横で、
何故か母親は簡単(?)に気持ちが分かって(伝わって)しまうのだ。



長くなってしまったが、
こういう、準超能力というか、超能力とまでは行かずとも
とても敏感な能力を持ち合わせている人間というものはたまに存在する。

日本に於いて、この能力を複数持っていた存在がいた。

第71代天皇、後三条天皇である。

天皇が政を司り、世を治めていた時代から、
武士が政を担い、天皇が政から遠ざかった時代ー・・・平安時代末期に至る、直前の天皇である。


天皇が政治を行い、
途中で、天皇の位を降りた「上皇」が天皇の代わりとして政務を行い、
そしてとうとう「武士」が天皇の代わりに政治をするー・・・

そういう段階を踏んでいる歴史があるが、
後三条天皇はこの、「上皇(天皇の位を降りた天皇)」が政治をする体系のひな型を作った天皇であった。

上皇が代わりに政治をする政治形態を『院政』と呼ぶが、
院政で有名なのが白河天皇であり、
後三条天皇はこの白河天皇の、父親である。



後三条天皇は、あまりに優等過ぎる能力ゆえに、常に脳みそが疲れていた。
しかし、生まれてから死ぬまで、自分の脳みそとしてしか付き合えない。
他の人間がどういう状態なのかなどは分からないので、
自分が特別な能力を有するから、だというのは死ぬまで分からなかった。

つまり、絶対音感、共感覚、エンパスー・・・、様々な準超能力を持っていた。
この優秀な遺伝子は、

後三条天皇
→白河天皇
→堀河天皇
→鳥羽天皇
→崇徳天皇
→後白河天皇(崇徳天皇の弟)
→安徳天皇(後白河天皇の孫)

と、不幸?にも続いていく。

安徳天皇、で遺伝子の連鎖は終わったのである。


第7章:その他「第13節:崇徳天皇 ー 第1話:後三条天皇~安徳天皇」


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